歴史にマジックをかけて出来上がる、魅力的なフィクション――呉明益(2015=2021)『歩道橋の魔術師』(訳)天野健太郎、河出文庫

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呉明益は最近『自転車泥棒』を読んで非常に興味を持った作家で、この短編集も非常に面白く読むことができた。本書は短編集ではあるが、「歩道橋の魔術師」との出会いから始まる「ぼく」の人生の一端を書いたものであり、それぞれが連続しているものとして読める。

白水社の<エクス・リブリス>シリーズとして最初に刊行されている本書は、率直に質の高い海外文学であるという印象を持った。2021年に文庫になってからは、及川茜による訳で「森林、宮殿、鋼の馬と絵の中の少女」が追加で収録されている。

いずれも大人になった「ぼく」の回想という形式を随所に挟んでいるため、単なるノスタルジーを書いているわけではないが、台湾におけるある時代、ある場所を書くことが一人の人間の人生に大きな影響を与えているかもしれない、と思わせる魅力に満ちている。

呉明益は村上春樹と比較されることもあるようで、春樹と似ているところをいくつか言及すると内省的な主人公の存在や、小説を読み書きすることへのこだわり(これは『自転車泥棒』にも通じる)、そして何より現実の世界に幻想的な現象が入り込んでくるところだろう。本書には「魔術師」が登場するがゆえの「マジック・リアリズム」とも言える。

魔術師が見せる風景に「ぼく」は動揺することも多い。また幼少期から、小説家になった大人までの時間を書いているため、様々な喪失をも「ぼく」は経験する。良い記憶も、悲しい記憶も、そこに魔術がかけられるとするなら。『自転車泥棒』同様、多くの歴史的な事実に基づきながらフィクションを上塗りすることで、小説の中でしか表現できない世界を作り、小説の中のキャラクターに様々な感情を経験させる。こうした手腕を、本書の中でも魅力的に発揮していると言ってよい。

中でも「ギラギラと太陽が照りつける道にゾウがいた」という淡い青春を書いた短編が気に入っている。読書サークルで出会った、カラス名乗る「ぼく」と「わたし」との恋。この小説では「ぼく」(カラス)と「わたし」の視点が交互に展開される。「ぼく」の叙情的な語りの中に、入りこんでくる「わたし」の感情のアンバランスがとても良い。

初めに彼女が泣いて、それからぼくが泣いた。その日の公園は人が少なかったから、ぼくらの泣き声はたぶん誰にも聞こえなかったと思う。ぼくらはその後も恋人同士のまま、ときどき会ってセックスした。そのときはやっぱりまず、彼女のあそこを舐めた。でもどうしてか、そこは冷たいままだった。まるで捨てられた街の、封鎖された道のように思えた。(p.108)

この一節を見ると、「ぼく」が村上春樹を好む理由がよく分かる気がするし、この世界観はこの小説の中にも満ちていると感じる。それこそが呉明益の小説世界であり、彼の大きな魅力である。

[2023.4.6]

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バーニング
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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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