「貧困専業主婦」というタイトルを最初に聞いたとき、専業主婦以上にシングルマザーの方が貧困化しているのではないかと感じたが、あとがきを読んでいると著者自身の関心はシングルマザーの現状の分析と研究が最初にあって、そこから専業主婦の抱える問題へと関心をシフトさせたことがうかがえた。
よって、本作では様々な諸問題、所得の格差、教育の格差、欠乏の罠、制度的罠、限定合理性などなどが具体的に挙げられているが、専業主婦の研究を通して日本社会の構造的な問題が浮かび上がってくるような構成になっている。そこにはシングルマザーの抱える問題や、専業主婦ではない子育て世帯の抱える問題ともパラレルなものがあることがよく分かる。
たとえば社会保険(年金の第3号被保険者など)であったり、所得税の税制優遇(配偶者控除。いわゆる103万の壁や150万の壁)であったりが、意図的に「専業主婦家庭モデル」という戦後になって形成されたものを強化することになっていること。後者については制度改正も行われ、今後も議論されていっているように思うが、制度改正したとはいえ経路依存的に最初に構築した制度の延長をなぞっているに過ぎない。平成以降男性も女性も手取りの所得が増えずにむしろ漸減していく中で、専業主婦といったモデルが制度の面でも社会的な価値観の面でも温存されていることに著者は詳細なデータと理論を示すことで警鐘を鳴らしている。
専業主婦が実際に行っている選択について、もう少し具体的に見ていこう。キーワードは様々あるが、先ほど挙げた、欠乏の罠と制度的罠、そして限定合理性の三つが特に重要だと感じた。欠乏の罠は余裕のなさから生まれる選択の失敗を、制度的罠は制度(ここには法制度だけでなく、慣習や価値観を含んでも良いと思う)が規定するモデルから外れることによって生じる失敗を、そして限定合理性とは二つの罠に加えて知識や情報を十分に持たなかったり活用できないこと(ケイパビリティと言い換えてもよいかもしれない)による失敗である。朝日新聞のインタビューでは同類婚の増加が一因とも語っており、低学歴同士のカップルの場合、ケイパビリティは限定されたものになりうる。
たとえば認可保育園は低所得者が有利になる仕組みもあるが、自身や周辺にそうした形で保育園を利用している人がいなかったり、適切な助言を受けていなければ制度が存在したとしても利用につながらない。また、保育園に通わせることによる正の作用がいくつか観察できる(山口慎太郎の研究が繰り返し紹介されている)にも関わらず、「保育園に通わず自分がしつけたほうがよい」といった思い込みや価値観が、制度の利用を遠ざけることにつながっている。
こうした選択の失敗は保育だけでなく、労働の面でも現れる。日本の女性が産後に社会復帰しようと思っても、そもそもスキルにあった求人がなかったり、あったとしてもケアワークや飲食や小売りのパートタイムといった、特定の業種の求人に偏っている。求人があっても会社の中に時短勤務などのフレキシブルな制度が用意されていなければ就職することは容易ではない。また、制度が存在しても同僚や上司や取引先が事情をくんでもらえるかも未知数だ。こうした事情が、「貧困」なのに「専業主婦」という経済的に苦しい子育て家庭を生んでいる。
このように、少し挙げただけでも就労への復帰にはハードルが多い。これらのハードルの存在をそもそも知らずに結婚や出産のために退職し、その後にようやく復帰の困難さに直面するパターンも存在することが指摘されている。こうした様々で複雑な諸問題に対して著者が提案するのが、行政によるナッジ的施策である。こうしたアプローチのことを、既存の新自由主義でもパターナリズムでもない、「第三の道」だと著者は表現する。キャス・サンスティーンの言葉を使えば「リバタリアン・パターナリズム」と言ってもよい。個人の選択は尊重するが、その上で何らかの介入を図り、正しい選択へ誘導するというやり方だ。
具体的にはインセンティブの活用、マッピング知識の付与、デフォルトの設定、フィードバックの提供、エラーの予期、複雑な選択の構造化などを提案している。たとえばデフォルトの設定だと、ある選択についてオプトイン/オプトアウトの切り替えを行えば、実際に選択を行わなくても自動的に何かが選ばれる(あるいは選ばれない)ようになる。例えばサブスクリプションがそうだ(一度設定してしまえば、自動的に購入が継続される)。エラーの予期はフェールセーフやフォールトトレランスのような、判断や選択において誤りや間違いを犯すことを前提に組み込んで制度設計を行うこと。たとえば自動車に乗った際、シートベルトが作動していなければ、ランプやアラームが警告を発する仕組みがある。このように、ナッジはすでに生活のあちこちにシステムとして展開されている。
ナッジの個々のやり方の研究は蓄積があるだろうが、貧困専業主婦やシングルマザー、あるいは貧困家庭のパートタイム女性など、日本におけるこれらの諸問題についての研究の蓄積はまだまだこれからなのだろう。この分野の研究や、それが行政に取り入れられること、そして多くの人が貧困や困窮から救い出されていくことを祈りたい。
[2020.11.27]