決断の時、伝えるべき言葉 ――武田綾乃(2019)『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部 決意の最終楽章』宝島社文庫(上下巻)

バーニング
5 min readJun 25, 2019

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2013年12月から刊行が始まったシリーズにひとつの終止符が打たれたというべきか。そもそも3巻の刊行時にいったん完結はしたものの、京都アニメーションによるアニメ化の好評が武田綾乃に対して続編の執筆を後押ししたことはもはや有名な話だろう。

武田にとってはキャリア2作目の本作(本シリーズ)は累計でミリオンを悠に超える売り上げを見せ、文字通り彼女の出世作になった。アニメとの相乗効果で黄前久美子たちの3年間をこのような形で終わりまで見届けることができたのは、アニメと小説双方のファンからしたら幸福以外の何者でもないだろう。

武田が最後まで貫いたのはあくまで久美子を軸にした物語にしたこと。だからシリーズ前作『波乱の第二楽章』においても、久美子と奏の衝突と和解までがストーリーの大きな軸になっていた。翻って今回は、黒江真由という実力を兼ね備えた転校生に久美子がどう立ち向かうのか。そして、滝政権3年目にして初めてコンクールごとのオーディションという、言わばベストメンバー戦略で戦うことにした吹奏楽部103人の大所帯を、部長である久美子がどのようにまとめるのか。注目すべきは主にこの二点である。

上巻で久美子、麗奈、秀一が吹奏楽部の運営側になり、黒江真由が「来襲」し、京都府大会を無事金賞で終える。ここまでは大きな波乱はないが、その種があちこちに蒔かれることになる。関西大会、そしてその後に続く展開は下巻に持ち越されるが、この長いようで短い夏から秋の間に、武田綾乃は一貫したテーマを持ち込む。一つは「特別さ」とは何かという、久美子が麗奈やあすかに抱き続けている感情。そして、努力。

努力については武田自身も公言している。ただ、この努力するということは、集団の中では危うさも怯む。今回展開される真由と久美子の衝突がその例だ。古くは、香織と麗奈のソリスト争いを思い出しても良いだろう。香織と違うのは、真由はそもそもの演奏のスタンスが久美子と異なることだ。これは奏とも異なる。奏とはまた違う形で、雰囲気や調和を乱すことを嫌い、ソロを譲ることやオーディションを辞することもいとわない。その姿勢があまりにも自然なせいで、久美子は真由の意思を容易に否定できない。

他方でベストメンバー戦略を選び、常に競争が生まれる結果、部の雰囲気は穏やかにはならない。常にあちこちで波風が立つような状況に麗奈がいらだち、その麗奈に反駁する秀一の姿に、また久美子は二の足を踏んでしまう。これまで抜群の安定感を見せていた顧問の滝ですら揺らぎが見えてしまうのが、かつてなかった新しい展開だろう。

滝の揺らぎは橋本に容易に見抜かれる。今年の北宇治は空気が硬い。それでほんとうにいい演奏ができるのか?と(下巻pp.140–141)。これに対する滝の返答を探すと、

「私にはそうした方向に音楽の照準を合わせる能力がありますし、皆さんにも私が求める基準を満たすだけの力がある。皆さんの音楽が上達していくのを聞くのは好きですし、それに結果がついれくればもっと喜ばしい」(下巻p.194)

だろうか。ここで感じたのは、これが久美子に対してのセリフであるせいかもしれないが、自身の指導スタンスを滝が言語化する機会は珍しいということ、それが久美子相手だからこそ実現したのだろうことだ。麗奈に対して私的な話題を話すこともある滝だが、自身の指導スタンスについてここまで饒舌にはならない。

ここにこそ、シリーズ最終刊である本作の向かう先が見えてきたように思えた。つまり、良い演奏とは何かという問いに、久美子自身が答えを出さなければならないということだ。橋本にも滝にも、それぞれのキャリアや指導経験から導かれる答えはあるということ。ただ、当然だが答えは一つではないということ。それぞれが対立することもあるということ。しかもこれは個人競技ではない、集団での、しかも採点競技であるということが、良い演奏とは何かという問いをさらに掴みにくくする。

久美子にとっての最後の一年が描かれる中、夏休みを利用してオープンキャンパスに出向いたりもする。他にも既に大学生活を送る先輩とのやりとりや、あるいは姉である麻美子との会話が短いながらも幕間的に挿入されてくるが、最後まで読み進めていくとこれが単なる幕間とも思えないほど、久美子に対して重要な「悩み、考える時間」を提供しているように思えた。だからこそ、この「悩み」を託せるキャラクターとして田中あすか(と、同棲もといルームシェアしていた中世古香織)が登場するのは必然の流れだろう。そしてここであすかも香織も明確な答えを出さないところがいい。あくまでも最後まで彼女たちは「先輩」として、久美子になま優しくは振る舞わない。

ベストな選択とは何か。そんなものはないのだ。ただ、すべてのメンバーがベストを尽くそうとすることはできる。久美子にとって重要なのは、彼女自身の決断を、答えを出すことを行うこと、そしてそれを伝えることだ。その行く末がどこに向かうのかはもはや重要ではなかったのではないか。最後の最後に久美子が自分で決断したこと。その決断を、言葉にして伝えたこと。それこそが、黄前久美子というフィクショナルな少女を5年半追いかけてきた、武田綾乃の出した「答え」だったのだと、私は受け止めている。

[2019.6.25]

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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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