2018年から刊行が続いているfuzkueの阿久津隆による『読書の日記』シリーズ3冊目。彼が岡山でcafe moyauをやっていたころからウェブでの日記を時々読んでいたが、いまは有料でないと全文読めない仕組みになっている。その有料版を書籍化しているのがこのシリーズであるが、2023年刊行が2018年の記述に終始しているので日記の刊行が現実に追いつくことはきっとないんだろうな、とぼんやり眺めている。
逆に考えると、もともとインターネットを通じて発表していた文章を書籍化するという行為は、あえてこの時間差を楽しめ、ということなのだろうと思った。前述したように2018年は『読書の日記』シリーズの1冊目が刊行された年だが(そのころはシリーズ化する/できるとは思っていなかったが)、3冊目にあたる本書はその1冊目の刊行前のエピソードから始まる。だから副題の一つに「本を出す」があるのだろう。それ以外にも濱口竜介を特集した『ユリイカ』への寄稿エピソードや、文芸誌『新潮』から執筆依頼が来るエピソードなど、何かと本に関する記載の多い一冊でもあった。
cafe moyau時代にも濱口竜介の上映会をやっており、本書には日記の書かれた期間に公開された『寝ても覚めても』への記述もある。また、長編としてはその前作にあたる大長編『ハッピーアワー』や2011年の『親密さ』、2008年の『PASSION』にも言及があるなど、「阿久津隆にとっての濱口竜介を読む」ことのできる一冊にもなっている。
もう一つ面白いなと思ったのは中井久夫の『徴候・記憶・外傷』を読んでいる点だ。ちくま学芸文庫からシリーズ刊行されている中井久夫コレクションを買いに行ったはずなのにみすず書房の本書を取るメカニズムがそもそも不思議ではある(p.499)が、例によってプルーストが読み返される間に中井久夫の本書が挿入されるため、プルーストと中井久夫が共鳴するのは阿久津隆らしい読書体験だろうと思って読んだ。
彼は基本的に複数の本をゆっくり読んでいく。かといって精読というわけではなさそうだ(併行ゆえに)が、日常やほかの読書とも偶然的に共鳴することを楽しんでいる。これは濱口竜介の2021年の映画、『偶然と想像』にもつながる話かもしれない。もちろん2018年時点では想像できないこと、これもタイムラグがあるがゆえの想像だ。
最後に少し、これも阿久津隆らしいのは読書とプロ野球観戦が併行して記述されているところだ。そして『Number』のイチロー特集を読む時もあれば、『週刊ベースボール』をある日から毎週読むようになったり、巨人のラインナップに広島移籍前の長野がいて、ウィーラーが現役で、メジャー帰りの上原がいて、まだ岡本が開花する前で、というたった5年ほどの時間がものすごく昔のように感じさせられる記載が散りばめられている。これも少し記述があって思い出したがよく考えたら大谷翔平のアメリカ1年目でもあり、日本ハムの監督がまだ栗山なのも面白いし、今度アメリカに行く上沢と清水優心のエピソードも懐かしいものとして読める。
野球観戦と読書の併行でもっとも阿久津隆らしいなと思ったのは、柴崎友香と8月14日のヤクルト対巨人戦が交錯する記述だ(pp.431–432)。9回裏、巨人が1点リードしている。ヤクルトの主砲バレンティン(!)は守備固めですでに退いている。それでもヤクルトはチャンスメイクをし、柴崎友香の『公園へ行かないか、木曜日に』を開いている間に川端がサヨナラタイムリーを打つ。これはなんというか、柴崎友香とヤクルトファンの自分にとってはとても美しい光景だなと思ってしまったのである。
[2024.1.15]