『オルフェオ』よりはのみこみやすいが前回レビューを書いた『幸福の遺伝子』よりは複雑な構造を持った小説でしかもやたら長い、ということでいくらか苦労しながら読み終えた。タイトルになっている「エコー・メイカー」の意味が3章の冒頭で明かされてからはパワーズが本作でやろうとしている企みがようやくのみこめたが、かといってこの小説の全貌を理解できるわけではない。詳しいことは訳者である黒原のあとがきに任せることにして、個人的な所感をつらつらと述べていこうと思う。
カプグラ症候群。これが本作においてもっとも重要な要素を持っている病名だ。トラックによる事故の後遺症でカプグラ症候群に陥ってしまったマークは、姉であるカリンを姉であると認識(同一視することが)できない。俺の姉はこんな姉じゃなかった、ほんとうの姉は……といった形で、目の前にいる存在で自分の肉親でもある女性を受け入れることができないのだ。カリンは変わり果てた弟の姿に絶望しながらも、懸命に救い出そうともがく。
マークと、そして失意のカリンを救うために様々なキャラクターが登場するが、その中で最も重要な存在は神経科学者のジェラルド・ウェーバーだ。『幸福の遺伝子』の主人公はラッセルだったし、今回はウェーバーということで著名な学者になぞらえてしまうのは多くの人がやってしまうことであると思うのだけど、ラッセル同様にウェーバーもなかなか癖の強い学者であるということが安定(?)のパワーズ小説、と言えるのかもしれない。
黒原によれば彼のポジションはオリヴァー・サックスやファインマンといった、一般書も多く書いているポピュラーな科学者というところだが、内実は自分の本の書評が気になってそわそわしたり、Amazonレビューにも敏感で(このあたりは現代的なモチーフだ)マークという対象を見つけて興奮するような、それほど器の大きくない科学者だ。それでも一人の専門家であるのは事実だし、カリンもウェーバーを基本的にはあてにするしかない。基本的には、だ。しかし物語が後半に移るにつれ、その基本的な信頼はいくつかの事情やキャラクターの介在によって揺らいでいく。
カリンにはマークを救い出したい、という欲求があるように、ウェーバーやマークや彼を取り巻く人間関係を知りたい、知り尽くしたい、という欲求がある。そして『幸福の遺伝子』のラッセルとある意味では同じように、ウェーバーも物書きだ。ウェーバーが物書きであるということ、多くの本をすでに書いているということを踏まえつつ、さらなる「物語」の創作欲求にとりつかれているとするならば、マークとカプグラ症候群は格好の題材になりうる。
この小説における鶴の存在やループ構造など複雑なところはほんとうに細部まで理解できたとは思えない。おおまかなところをなぞるだけでとりあえず一周目の読書は終了したということだ。ただ、個人的に面白かったのはウェーバーというキャラクターを配置しながら彼が何らかの物語を書くことに執着を燃やす面白さだった。何かを調べた結果書くのではなく、書きたいからこそ何かを知ろうとするのは倒錯しているようで常に最先端を探している学者にとっては珍しくないことでもあるのだろう。
もう一つ、物語の中盤では2001年の9月になってテロが起き、その時以外にもニューヨークという地名はたびたび登場する。ビルにつっこんだのは鶴ではなく飛行機だが、何度も飛行機がビルにつっこむシーンがループされるのは、鶴が毎年のように同じ場所に渡ってくることとあながち大差はないのかもしれない、と予感させるループの呪いが、マークを苦している一つの要素。もちろん苦しんでいるのは当時のアメリカ人すべてだろう。それを代弁することはできないが、不幸にもマークは呪いを背負ってしまった。
物語ることが現実化するというマークの妄想は統合失調症の一種のようにも見えるが、より妄想とリアルの接地面が鮮明な状況にマークは置かれているのだろう。であるなあらば、カリンもウェーバーもその接地面にダイブするしかない。救い出すために。
[2019.4.13]