一気読みといっていいほど、食らいつくように読んだ。noteに期間限定で無料公開された(全文!)ことをきっかけに読んだのだが、確か新聞連載でも一部は読んでいたことを思い出した。
2002年秋から始まる本書の記述は「約20年にわたる苦悩の日々」とnoteには記されてように、とてもじゃないが苦悩どころでは済まないような日々の記録である。あとがきを読むことで、サバイブすることのできた妻の希望があってこの文章が公開、出版されたことが分かる。著者の愛情と執念と、生き残った妻の強さが、あちこちからにじみ出ている文章だ。
前半は摂食障害(神経性やせ症)との闘い、そして後半はアルコール依存症との闘いの記録である。後者は前者から連続しており、二次障害的に発症したと言える。摂食障害にありがちな病識のなさとの闘いから、「精神医療の壁」との闘い、そして仕事との両立など、具体的で生々しいほどの記録が続く。
前半の記述について少しコメントすると、「精神医療の壁」についての記述は2000年代~2010年代前半にかけての記述なので、今以上におそらく壁があったのだろうと思う。また、最初著者と妻が岡山で生活していたことも苦労の一つだろう。(ただ、岡山で信頼できる医師と巡り会えたことは、先々のことを考えると幸運な出来事と言える)
その後大阪に異動することで医療以外の分野(福祉やカウンセリング)とつながることができたのは、都市部であればこうした資源が利用しやすいという要素がおそらくあるはずで、地方都市とりわけ政令市や中核市を除けば医療以外の資源は乏しいし、医療資源とて十分とは言えない。ましてや精神医療をや、である。
こうした精神医療そのものの壁、資源の分配の問題、あるいは精神医療に対する偏見や差別など、こうしたことがあることを認識している医療者も多いだろう。もう少し早く福祉や心理と繋がることができればという気もしたが、公的な相談機関の壁(相談に対して適切な支援が常に得られるわけではない)も考えると、前述したような理由で機能的ではないのがおそらく難しい。たまたま良い医師に出会えるとか、後半登場する女性の臨床心理士に出会えるとか、そうした偶然性に賭ける部分がこの世界ではまだまだ大きい。
妻を長年支え続けた著者も、ついにある日適応障害を発症し、彼もまた苦しみを味わうことになる。いわゆる「ケアする者のケア」の難しさを感じるが、他方で著者も実感しているように朝日新聞社の同僚たちは著者と妻のサポートに非常に積極的だったことが功を奏している。新聞連載の機会や著書の出版など、一般的にはなかなか経験できない機会を与えることができたのも、新聞社勤務ゆえなのだろう。
著者も繰り返し指摘しているが、現状の精神医療への差別や偏見を考慮すると、職場の支援を得られることがそもそも貴重なのかもしれない。あとがきで触れているように、「ケアする者」が非正規雇用だったら、罹患した夫を抱える女性だったら、残念ながら事態はまた大きく変わってくるのだろう。
最後まで改めて読んで感じたのは「幼少期のトラウマ体験は一人の人間の人生を破壊する」のが一番怖ろしいことだ。幼少期の加害や暴力は、被害者の未来を容易に破壊しうるのである。もちろん傷を治療することは可能かもしれないが、そのためには膨大なエネルギーと時間と費用を要する。この本のケースだと、治療と回復に20年要しているわけだから。それもまだ、進行形であり未完である。
著者の妻の場合、虐待や性被害といった辛い体験が成人して形を変えて彼女を襲っている。カウンセリングによって傷を開いたことで改めて過去の体験に向き合うことも、本当に辛いことだ。傷を開くようなトラウマの治療には加害性が伴うことを考えると、カウンセリングによる治癒は非常に難しいプロセスなのだと改めて感じる。
著者の妻と著者は傷を開いてもなお、乗り越えることができた。しかしその最中は本当に辛い日々だったろうし(カウンセリングは4年にわたって続いたとの記載がある)、幼少期の虐待や性暴力の恐ろしさを改めてかみしめることになった。一人の支援者として、本書を読めたのは貴重な経験であったし、あとがきを経てつづられる最後の一文には思わず涙した。著者と著者の妻の二人がここまで生き延びることができて本当によかったと、強く感じている。
繰り返しになるが、本書の記述が始まる2000年代前半と2020年代の現代では、精神医療は確実に変化しており、心理や福祉との連携も進められている。治療法の根拠となるエビデンスも積み重なっているし、心理療法やカウンセリングの手法も様々ある。つまり、2000年代より今のほうが確実に治療の選択肢が増えていることは指摘しておきたい。もちろん、良い治療、良い支援にすぐに結びつくかどうかは不確実性が高いが、それでもかつてよりは希望を持ってよいはずだと、最後に強調しておきたい。もちろんまだまだ課題の多い業界なのは間違いないのだが……
また、本書をきっかけにして一人でも多くの人が良い治療、良い支援につながってほしいと思う。一人の福祉職の端くれとして、それが一番の喜びだ。
[2022.4.25]