2018年の直木賞受賞の際にも読んでいたが、この際映画化を機に文庫版で読み直すことにした。前回読んだ時とは職種が変わり、今年は公認心理師試験の受験を控えていることもあって、臨床心理士である主人公の真壁由紀が殺人を犯して拘置所にいる女性、環菜に迫っていく様は興味深く読んだ。
義父を包丁で刺殺した罪で拘置所に勾留されている環菜に対し、彼女の記録を心理職の視点で執筆するというオファーを受けた由紀は、彼女の抱えた謎、例えば事件を起こした理由や過去に起きた出来事等、多くの秘密や謎に迫ることになる。環菜の「内側」に深く潜っていく過程で、由紀もまた過去の自分に潜っていくような、そうした構図も並行して展開されていく。
刑事司法における臨床面接は司法面接と呼ばれることも多く、公認心理師の現任者講習会でもこの領域での心理職の活動について紹介されていた。(ただ一般的になじみの薄い領域であり、刑事司法の制度を熟知する必要もあり、関与したことがある人は講習会でも多くなかった)。
本作の環菜のケースのように、事件の加害者の臨床をしていると次第に加害者の抱えていた傷、つまり当事者が過去のある時点にいおいては被害者でもあったという複雑な経歴が浮かび上がってくることも珍しくない。例えば被虐待経験を持つ人が成人してから子に虐待をしてしまうという構図はよく指摘される。
話がそれたが、本作では心理職である由紀と、被告人でありクライアントでもある環菜、そして弁護士(環菜の国選弁護人を担当する)といった三人の構図がまずあり、並行して由紀の夫である写真家の我聞、弟である迦葉、そして由紀の関係を巻き込んだ疑似三角関係の構図も複雑な歩みで進んでいく。由紀は我聞、迦葉それぞれと別々に出会い、そして過去には迦葉とも親密な関係を結んだことを明かせぬまま、我聞と婚約し、息子を出産するに至っている。
弁護士である迦葉はとにかく結果を求める。それは彼の職業柄でもあるだろうし、彼が学生時代に由紀に語った言葉、「人助けしたいやつはたいてい同情できる人間しか助けたがらない。助けたくない人間まで助けなきゃいけないのが医者と弁護士だ」は大人になっても顕在だろう。そしてこれは被告人の人生のためでもある、と迦葉は語る。塀の中で過ごす時間が長くなればなるほど、社会復帰が難しいことも彼は知っている。だから刑期を短くするために、多くの弁護士がやろうとしない国選弁護人を務めるのかもしれない。
由紀はそうした迦葉の純粋なのか狡猾なのかわからない部分にも惹かれながら、恋愛に近い感情を抱いてゆく。彼女の中にもある傷や痛みはそう簡単には癒えないが、迦葉に惹かれてゆく気持ちも否定できないでいた過去がある。では環菜はどうだったか。彼女は自分のことを都合よく話しているだけなのか。母親が言うように、虚言癖が多く、由紀を試そうとしているだけなのか。あるいはまだ誰も知ることのない傷や痛みが彼女の過去に存在し、それが今でも彼女を苦しめているのか。
少しネタバレになるが、由紀も環菜もいわゆるMe,tooムーブメントの文脈に位置づけられるような過去を持っている。つまり、過去に受けた性的な被害を正確に打ち明けられないまま大人になったものの、その時受けた傷が継続している状態で生活してきた。環菜は自分の情報を由紀に開示したいという意志を持ちながら、相反した感情も抱いている。だからこそ由紀は彼女に寄り添いながら、過去を知ろうとしていくのだ。ここは、結果を求める迦葉と、あくまで関係性の構築や過程を重視する由紀との差異によく表れている。(ゆえに、迦葉と由紀はしばしば対立する)
結果的に迦葉は彼のアプローチだけでは真実に迫れないことも悟る。他方で由紀は、迦葉の存在や彼との過去について同時に振り返っていく経験となる。環菜という全くの第三者との交流を通して我聞、迦葉、由紀の複雑な関係が少しずつ融解してゆくプロセスを描く様子は非常にうまい。このプロセスは、三者それぞれにとって癒しを獲得するプロセスでもあるのだ。
ついにある事実にたどり着き、公判で迦葉がそれを披露する演出も見事である。弁護士や精神科医などに取材をする過程を経つつ、従来からの持ち味である男女関係の複雑さを複雑なままに詳細に描き切ったのは、作家として円熟してきた島本の成せる業なのだろう。映画やドラマで本作を楽しんだ人もぜひ、原作を手に取ってほしい。
[2021.2.28]