【第43回すばる文学賞】逡巡と選択、他者への不信、距離との対峙 ――高瀬隼子(2020=2022)『犬のかたちをしているもの』集英社

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すばる文学賞を受賞した高瀬隼子のデビュー作。デビュー作と言っても同人誌『京都ジャンクション』などで長く文章を書いてきた高瀬にとってみればおそらく何度も書いて投稿してきた中の一本だろうし、新人作家ではあるがテーマの目の付け所や細かな描写などはとてもこなれている印象を持たせる一冊だった。

卵巣の病気により自然妊娠できなくなった薫が主人公。彼女の恋人の郁也からある日不倫の報告と、不倫相手の妊娠報告を受けて逡巡する、というのがあらすじ。

不倫相手のミナシロは出産はするつもりだが子育てをするつもりがないという。そのため、薫と郁也はカップル関係を継続した状態で、自分の子どもを代わりに育ててほしい。こうしたかなり変わったミナシロの依頼を薫がどう受け取るのかがこの小説の展開を左右する。

もっとも中編と言ってよい程度の長さなので、ある地点でこの小説が終わることも目に見えている。そうした「ページの制約」がある中で作家が薫、郁也、ミナシロにどのような選択や決断をさせるのかも見どころだと言えるだろう。

そもそも女性にとっての妊娠や出産とは何か。自然妊娠が難しい自分にとってこの話は吉兆なのかそうではないのか。普段どおり仕事を続ける中で子どもを育てるということはどういった営みなのかを仮想的に考え始める薫の脳内を追う。職場の先輩の話、取引先の男性の話、そして(おそらく高瀬の出身とも関係するであろう)地元四国の話。身近な人や、遠かった人の存在や記憶が、薫を少しずつ刺激してゆく。

結末について。エンタメ長編小説ではないのでこのオチでよかったと思う。なぜなら、他者のへの不信もこの小説のテーマにあったからだ。それは翻って、自分も他者について「正直でなくても良い」ことの証明でもあり、終盤の薫の言動(郁也を欺こうとするそれ)につながっていると思う。

自分ならば信用できるかはさておき、他者を全面的に信頼することに強い抵抗があるからこそ、性行為についても抵抗があったのではないか。最初はできるけれど、次第にできなくなるという彼女の説明は、彼女の心理的状態の変化の表れとして解釈することもできるからだ。

不信を超えることは容易ではないが、自分の行動について意思決定することはできる。続く『水たまりで息をする』では急速に行動を変えるパートナーとの心理的距離を書いたわけだが、本作終盤のタクシーでの長旅についても距離を書くことに関心を持つ作家であることが分かる。距離は簡単に縮まらないが、だからこそ人と人との間でのやりとりが生まれる。そうした構想を小説の中で書き続けたい作家ではないのかという思いを強くするデビュー作だったと言えると感じた。

[2025.3.4]

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バーニング
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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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