最近二作目の『推し、燃ゆ』で芥川賞を受賞した宇佐見りんのデビュー作。デビュー作で文藝賞、二作目で芥川賞と言うところは、同じく『インストール』で文藝賞を受賞し、大学在学中に二作目『蹴りたい背中』で芥川賞を(最年少で)受賞した綿矢りさを想起する。ただ綿矢がそうであったように、芥川賞受賞後のキャリアがどうなっていくかは分からない。宇佐見に対しても相応の期待を込めつつ、長い目で見ていきたいと個人的には感じている。
さて、『かか』のこの方言文体は読みづらさが大きくてあまりうまくいっているとは思わないまま読んでいた。その分ポジティブだと思ったのは、10代のころからスマートフォンとソーシャルメディアが身近にありすぎる現代の女の子の実像を、母娘関係や性的な現象を題材にしていたところが現代的でよかったと思う。母娘関係はありふれているモチーフではあるが、現代的な要素と独自の方言文体(本書の言葉では「かか弁」)が異彩を放っているのは確かだろう。
現代的なガジェット(ツイッターなど)を取り入れればうまくいくわけではないし、むしろそれが悪目立ちしてしまいかねないが、本質的な部分、つまり少女が大人の女性になっていく過程である初潮を金魚の比喩で書く冒頭部分を含めた女性性についての描写や、一連の母との確執、途中から家にやってくる明子との関係など、文体の軽やかさに反して少女の所在なさを丹念に書ききっていく。(ちなみに似たようなモチーフやテーマを継続して扱ってきた村田沙耶香が宇佐見を評価するのは自然なことのように見える)
その中でも本書の核となるテーマは「妊娠/出産」だろう。うーちゃんは繰り返し「かかを産みなおしたい」とか「かかを妊娠したい」と強く願う。もちろん筋が通らないと言うか、字義通りに解釈しても意味は通じない。ただ、かかを置いて出ていったととの存在や、男と女の間の性行為だったり、性行為の結果として妊娠、出産が展開されるという、いわゆる生命の営みに対してまだ少女の立場から反旗を翻そうとするところ、この逆転が非常に面白い。
かといって、村田沙耶香のようにSF的なギミックを導入し、生命の仕組みや人間の倫理を本当に逆転させるようなことはしない。あくまでも、うーちゃんの中にあるねじれた、けれども素直な感情を吐露するための小説だったと感じる。彼女の中にある有象無象とした感情をそのまま出すことは、それがどれだけ不可逆的で不可能なことだと分かっていたとしても、丸裸になったうーちゃんそのものである。それを読者がどのように受け止めるか。
終盤、入院して手術をするかかを置いて、ひとり熊野に行く彼女の行為をどのようにとらえるのか。ボールを投げたまま終わっているとも言えるが、投げるまでのプロセスは徹底的にうーちゃんに寄り添ったものであるから作家の企みを簡単には憎めない。
「かか」の精神疾患(アルコール依存症。入院歴あり)や、主人公うーちゃんの推しの役者話など、『推し、燃ゆ』へと引き継がれる要素もここには詰まっている。デビュー作にはいろいろなものが宿る。慣れるまでは読みづらいかもしれないが、その軽やかな文体の中に力のある表現が豊富にあるのは面白いし間違いなく将来が楽しみな作家の一人だろう。
[2021.2.3]