社会学分野で恋愛やセックス、結婚を研究する例は多分に漏れないと思う。例えば結婚の研究としては代表格である山田昌弘は本書でも繰り返し言及されているし、計量社会学や家族社会学的な研究を続けている筒井淳也も本書で言及されている。ただ、大森が本書の元となった博士論文で設定したリサーチクエスチョンは、過去の研究の漏れを掘り起こすという意思がはっきりしており、非常に面白いと感じた。
先行研究の漏れを簡単に要約すると、まず「当事者の主観的意味付けにフォーカスした研究はほとんど見られない」(p.42)点だ。確かに筒井が行っているように、データを元にした分析からは当事者の主観的意味付けはどうしても排除される。それ以外でも、行動や選択に重きが向きがちである。
また、「男女による差異や社会階層的特徴などに注目する研究もあまり見られない」(p.42)こと、成人した未婚者の研究が少ないこと(若者対象の研究は学生レベルを対象とした研究が多い)。そしてセックスをする/しないではなく「セックスの価値や意味付け」(p.43)の研究もまた少ないとのことだ。その上で、90年代以降盛んに言われるようになった「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」の解体が本当に起きているのかどうかの確認を行っている。
以上のように、恋愛、セックス、結婚に関する先行研究や各種の調査を踏まえて上で、あえて首都圏在住の1987年〜1990年生まれの大卒者に限定したインタビュー調査を実施している。出会いから別れに至る一連の流れの中でどのようなコミュニケーションが行われているのか(恋愛の視点)。セックスをどのように意味づけており、また「付き合う」というステップがセックスとどのような関係に意味づけられているのか(セックスの視点)。そして、恋愛と結婚、生殖と子育てをいかに関連づけて行動しているのか。恋愛のステップが結婚を前提としたものになると恋愛の意味付けは変わるのだろうか?(結婚の視点)。以上の3つの視点がリサーチクエスチョンとして提示されている(pp.6–7)
本書の結論の要点を先取りすると、いまはすでに30代になっている彼ら彼女ら(奇しくも私と同世代)は20代前半と後半で明確に恋愛観が違い、結婚の先に出産は子育てを明確に意識しているという分析が面白い。自由恋愛は継続しているが90年代に言われたほどロマンチックラブイデオロギーが解体されておらず、上野千鶴子の言う近代家族のイメージは現代の若者にも共有されている可能性がある。なぜなのか。
もちろん理由は多くあるが、「首都圏の大卒社会人」という属性にフォーカスするといろいろなことが分かるようになっている。恋愛やセックスのスタイルは調査対象者それぞれだが、共有されているのは結婚後のイメージだ。前述したように、現代の若者が自由恋愛と近代家族像のハイブリッド世代だと仮定すると、結婚、生殖、子育てがシームレスに結びついていることを理解しやすい。
その上で、「首都圏の大卒者」という経歴の再生産を試みていることがインタビューを通じて分かってくる。自分が受けた教育を子どもに受けさせたいからこそ、それができる収入の維持が結婚後も必要だという規範が内面化されているわけである。
いずれにせよ、恋愛もセックスも結婚(とその後)においても、「意味付けを書き換えながら」(p.204)恋愛行動を行っているというのが本書の一貫した結論だと受け止めた。だから20代前半と後半(アラサー期)では恋愛観の差異があるし、30歳という年齢に近づくことでより生殖を意識した恋愛が行われるのである。意味付けを書き換えるのが自然というよりは、合理的な選択の結果であるということだ。
そしてアラサーになって書き換えられた意味付けは、谷本奈穂・渡邊大輔(2016)が提起した「ロマンティック・マリッジ・イデオロギー」(恋愛の結婚はゴールであるべき、結婚するには、恋愛感情が必要)を支持している点にも見える。ただ、それは若い世代全体に共有されているわけではなく、合理的に「意味付けを書き換え」た結果だという指摘が本書の新規性だろうか。
本書は2012年〜2016年ごろに実施した調査なので、例えばTwitter婚活やマッチングアプリにはほとんど言及されない。だから同じ方法で調査をやり直すと恋愛や付き合う、のステップや価値観には違いがあるかもしれない。それでも結婚や子供に対する教育観といった価値観や規範性は、今の若い世代ですら大きく変わっていないのではないかと日頃インターネットを観察していると思うところである。
[2025.2.2]