薬物依存症の歴史的形成と現状、ハームリダクションへの希望と困難な現実 ――ベス・メイシー(2020=2022)『DOPESICK――アメリカを蝕むオピオイド危機』(訳)神保哲生、光文社
神保哲生というフリーランスのジャーナリストは以前からウォッチしているが(主にTBSラジオの影響で)、その彼が翻訳に取り組み、日本に紹介したのがこの本だ。2022年に光文社未来ライブラリーで文庫化されたことをきっかけに読んだが、数十年かけて山脈から広がったオピオイド依存の実態を探るだけではなく、その背後にある歴史性にも着目している点が興味深いと感じた。
19世紀末にドイツのバイエルが発売を始めたヘロインは、当初モルヒネに代わる新薬として画期的に売り出された。その後各国で規制が強化されると、非合法として地下のマーケットでの流通が始まっていく。本書はオピオイドを購入する資金を捻出するためにヘロインの売人になった人物も登場するが、ヘロインは現代アメリカで流通して(しまって)いる一般的な麻薬だということなのだろう。それよりも本書が多くのページを割いているのが、パデュー・ファーマが発売を始めたオキシコンチン(オキシコドン)というオピオイドについてだ。
オキシコンチンは処方薬のため、医師が処方箋を書くことで「合法的に」流通する。メディケイドなどの公的医療保険制度を利用してオキシコンチンを合法的に入手したあと、マーケットに流すという話も多々登場するわけだが、ここには単なる患者のモラルハザードにとどまらない、医師と製薬会社との癒着が強固に存在することも指摘される。
例えば売り上げを伸ばすためにパデュー社がどのように医師に接待営業を仕掛けてきたかが詳細に語られており、アメリカのヘルスケア業界の闇を垣間見ることになる。この訴訟はジョンソン・アンド・ジョンソンやカーディナル・ヘルスなど、ヘルスケアの大手企業にも波及している。
こうして多くの一般のアメリカ人と公的医療保険から吸い上げたお金で私腹を肥やす製薬会社の裏側で、大きなダメージを受けるのは名もなきアメリカ人たちだ。筆者はアメリカ各地を取材し、多くのオピオイド依存症当事者やその家族や遺族を取材している。学生アスリートだった息子を依存症で亡くした父親の悲しみや、小さな子どもを抱えながらオピオイドの購入資金を捻出するために売春を繰り返す中、非業の死を遂げた女性の話など、あまりにも痛々しい現実が多く記載されている。
そしてこうしたオピオイドの蔓延はアメリカの田舎の話にとどまらないことも繰り返し指摘されている。そして背景にあるのは産業構造の変化などによる、経済の不安だ。
オピオイド流行の原因を作ったのは、地域の雇用の崩壊と労災に起因する障害者の増加、そしてあえてそのような地域でオピオイド鎮痛薬を売りまくった欲深い製薬会社と、これを次々と承認した政府の規制当局だった。雇用不安はもはや地方だけの問題ではなかった。オピオイドの処方率が低く、人口に占める大学卒業者の比率が高い地域でも、程度の違いこそあれ、雇用不安は起きていた。
ベス・メイシー(2022)『DOPESICK――アメリカを蝕むオピオイド危機』光文社未来ライブラリー、p.292
こうした現状に起因する不満や怒りがトランプ政権を誕生させ、トランプは2017年に非常事態宣言を出したものの、ではどうなったかと振り返るとポジティブな言及は非常に少ない。いくつかの州では薬物依存症の治療にメディケイドが利用できない場合もあるなど、依存症の治療や回復に向けてはまだまだ壁が多い。
数少ない希望的な戦略がハームリダクションだ。日本でも近年導入されている試みだが、薬物を「やめさせる」のではなくて「あえて使わせる」この手法にはアメリカでも一定の反対勢力がいるようで、ハームリダクションというワードを発したくても使えない場面もあるらしい。
本書の解説で神保が述べているが、「社会の厳罰化要求やスティグマが強ければ強いほど、依存症者は医者にかかることが難しくなるし、適切な治療を受けられる可能性も下がり、それが結果的に依存症の蔓延を助長させてしまう」(前掲書、p.635)のがアメリカの現実であり、アメリカほど極端でないにしてもスティグマの強さが前面に出ている日本社会においても、無縁とは言えないだろう。若い世代の大麻利用は一定程度見られるし、鎮痛剤だけではなく風邪薬などの処方薬に依存する話も近年では耳にするようになった。
この分野の治療の専門家である松本俊彦や原田隆之の翻訳協力も記載されており、専門的ではあるが意欲的な取材記録である本書が翻訳された意義は大きい。前述したように日本はアメリカほど極端な蔓延はない。しかしながら、だからこそ社会の中のマイノリティでもある薬物依存症患者の受けるスティグマは非常に強い。そうした意味で、アメリカの歴史や現状を眺めながら日本のこともじっくりと考えたい一冊となっている。
[2022.10.26]