貧困からの脱出を可能にするために ――アビジット・V・バナジー&エステル・デュフロ(2012)『貧乏人の経済学』(訳)山形浩生、みすず書房

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バナジー&デュフロはノーベル経済学賞受賞後に日本で出版された『絶望を希望に変える経済学』で最初に読んだ。『絶望を希望に変える経済学』は経済学の有用性を、一般的な認知との違い(例えば移民が社会に与える影響など)についてエビデンスを様々提示することで具体的に紹介していた本だった。

本書『貧乏人の経済学』も基本的な本のスタンスは似ている。つまり、経済学の手法や知見を用いることで、いかにして貧困は解決しうるか(あるいは実際にどの程度難しいのか)を具体的に提示することである。このスタンスは、以前読んだマッカスキルの『<効果的な利他主義>宣言!』とも近しい。バナジー&デュフロも、マッカスキルも、貧困の脱出を具体的なレベルで構想しながら、有益な(効果的な)方法と有益でない方法が存在することを提示することを目指しているからだ。

本書には様々な例が挙げられるが、いまの時世に読むと予防接種の話が面白い。予防接種の意義や効果を、先進国に住む人たちは一般の人でもよく知っている(反ワクチンはこの際考えずに脇に置いておくものとする)。しかし、貧しい国に住む人たちにとってはそうではない。彼ら彼女らにとって疫病や感染症は身近なものである場合が多いので、予防接種の必要性はむしろ先進国の人々よりも高い。しかし、教育の水準や文化、宗教などの影響で正しい情報を持たないか、持っていても少数の人々に限られる(情報の非対称性)。

これは2012年に翻訳された本だが、COVID-19の世界的なパンデミックに見舞われる現代においては予防接種の意義は語り尽くしても足りないほどのものだ。しかし、正しい情報を持たず、まちがった情報を信じていることによって、たったそれだけの違いによって命を落としかねないという切実な状況が存在する。そしてこれはもちろんだが、予防接種に関する情報や知識に限らない。

貧乏な人は重要な情報を持っていないことが多く、まちがったことを信じています。子供の予防接種の効果についてわかっていません。教育の最初の数年で学ぶことに大した価値はないと思っています。肥料をどのくらい使うべきかも知りません。HIVに感染しやすい方法についても知りません。政治家たちが何をする人かもわかっていません。抱いている確信が実はまちがっていると、まちがった決断を下して、それが時にとんでもない結果をもたらします――年配の男性を保護なしのセックスをする少女たちや、適正量の2倍の肥料を使う農民たちのことを思い出してください。自分の無知を自分で知っている場合ですら、その結果として生じる自信のなさが被害をもたらすことがあります。(p.348)

ここで例示されているように、正しい情報を持たないことは誤った行動を生み出す(誤学習)ことが多く、無知であることもまた同様(未学習)である。では教育が重要だ、正しい情報を提供しよう、と試みてもそれがうまくいくとは限らない。その時に登場するのが経済学であり、RCTである、というのがバナジー&デュフロのやり方だ。

予防接種については、予防接種をすることで「オマケ」をつけることで接種率を大幅に改善させた村の話が紹介されている。COVID-19ワクチンにおいても、ワクチン接種者に様々なインセンティブを与えるやり方はワクチン接種が先行しているアメリカの事例でよく見聞きするし、日本でも同様の例が出てきている。効果的なやり方は、反復されうるのだなと感じるところだ。

逆に効果的でない方法はどのようなものだろうか? 本書の後半ではマイクロファイナンスについて具体的に検討されている。マイクロファイナンスの有用性や意義を一定程度認めながらも、その普及の割合の低さや従来の高利貸しが滅びてないことなどを指摘し、あくまで実際的な効果は限定的だろうとバナジー&デュフロは指摘している。マイクロファイナンス自体を否定してはおらず、あくまでそのやり方に限界があるというのがバナジー&デュフロの主張だ。

予防接種やマイクロファイナンスは貧困国のトピックだが、コンドームなしのセックスについての話題を読んでいると何も貧困国に限る問題でもないなと感じる。先進国においても貧困は一定程度存在するし、貧困からの脱出は重要な政策課題でもある。

先日紹介したアトキンソンの『21世紀の不平等』もそうだが、困難な課題を解決するための提案をすることが経済学には可能だ。もちろんすべての課題解決は難しいとしても、うまくやれば解決できるんだという楽観的な期待を持たせてくれる。こうした経済学が果たす役割というものがもっと社会的に認知されれば、良い社会になるのではないか。『絶望を希望に変える経済学』でも感じたことを、改めて実感できる重要な一冊である。

[2022.6.7]

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バーニング
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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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