実際作中でも言及されているが、辻村深月の書いた現代日本版の『高慢と偏見』である。傲慢はそのまま高慢と言ってもいいだろうし、善良も一種の偏見である。なぜならば善良だと判断するのは本人ではなく周囲だからだ。自分から私は善良ですと表明する人は少ないだろうし、いたとしてもあまり信用ならないだろう。今年はちょうどオースティンを読み進めていて、『高慢と偏見』も『分別と多感』も読んだあとなので、より面白く本作を味わえたかなと思う。(もちろん読んでいなくても楽しめる)
結婚相談所やマッチングアプリが鍵となる本作はいかにも現代日本に適合した形の『高慢と偏見』、つまり適齢期(をやや過ぎたとも言えるが、おおむね平均初婚年齢の範囲ではある)の男女の婚活小説だなと感じる。
また、これもオースティンよろしくおそらくハッピーエンドではあるだろうという予感には満ちている。二人の恋愛事情を見ても、横道にそれる要素がないからだ。とはいえすれ違い続ける二人をゴールインさせるのか、というストーリーの見せ所は『高慢と偏見』におけるダーシーとエリザベスよろしくと言ったところだろう。
ただオースティンの小説と違って、本作の主人公二人(架と真実)は孤立している。例えば架には長い付き合いの友人たちがいるし、真実には姉と母がいる。しかし架の友人たちは架を支援しているようには見えないし、真実の姉は『高慢と偏見』のジェインや『分別と多感』のエリナーではない。すでに既婚の姉は遠巻きに真実のことを見守ってはいるが、深くは関わらない。
真実の側も同様で、姉に対して自分の内面を完全に吐露することはない。真実の母が干渉的なのは『高慢と偏見』のベネット夫人よろしくといったところで、母の干渉は真実の結婚を遠ざける作用をする。しかし当の本人はそれに気づかない、といったところだ。
ここに都市と地方の価値観の差異をぶち込んでくるのは辻村らしい。これまでもそういった要素を取り入れた小説を発表してきたが、東京に近い地方(真実の地元は群馬という設定)だからこそ、東京との差異を際立てることによって、東京にはないしらがみを真実の周囲に展開させる。
幸福な結婚かどうかより、結婚しているかどうか、子どもがいるかどうかが優先させられる価値観の下で、しかし真実が自分の意思を貫くとしたら。なるほどこういう展開を選んだのかと驚きつつ、残り半分は驚きがなかった。辻村の書く女性キャラは基本的には頑固で強い。最終的にはしがらみを跳ね飛ばすパワーを持っているからだ。
この文章のタイトルに「婚活劇の裏側にある感情の普遍性」と書いたのは、当の本人だけでなく周囲の人間もどこか似ているなと思うからだ。本人の意思や価値観と関係なく、親は勝手に動くし、周囲の人間たちは勝手にジャッジを行う。それぞれに自分の行為が正しいと思っているからこその行為であって、当人たちにさほど悪意がないところが余計にややこしい。
そうした面倒くさい周囲を振り払いながら、それでも好意的な人間を頼りながらいかに自分の思いを貫くか。オースティンの時代のイギリスも、現代日本においても、そういった人間の感情の普遍性は存在するのだなと思わせてくれた。こうした多数のしがらみや妨害の中でハッピーな形で終わることを目指すプロセスの中に、架と真実の成長を感じてもいいのかもしれない。
最終的にこうした落としどころになるのは意外だなと思いながらも、長くミステリーを書いてきた辻村らしい、鮮やかな伏線の回収だった。
[2021.10.21]