島本理生はこれまで『夏の裁断』と『ファーストラヴ』くらいしか読んでいなかったので、何か彼女の代表作をと思い手に取ったのが本作。女子大生と、彼女の高校時代の部活(演劇部)の顧問との恋愛を描いたもの、というあらすじではあるけれど、その恋愛関係(人間関係と言ったほうがよいかもしれない)の書き方に新鮮さを覚えつつ、後半の展開には舌を巻いた。
新鮮なのは、主人公である工藤泉と高校教師である葉山は、双方が両想いの関係で物語がスタートしていることだ。高校時代から互いに意識し合い、また互いを精神的に支え合う存在だったが、そんな中演劇部の部員減少という理由をきっかけに葉山が泉を部活に召喚する。泉以外にも3人ほど部活のOBOGが招かれるが、葉山の狙いが泉にあったことや、泉が葉山に呼ばれる喜びを隠せないことは、あらかじめ分かりやすいくらいに描写されている。
このように、二人の再会と、その後の関係の発展を予感させる物語の序盤だけを読むと二人の関係が進展してゆくに違いないという期待を持たせる。しかし、それは一種のミスリードであり、島本はそうしたハッピーエンド志向の筋書きを演出しない。なぜなら、葉山が泉に惹かれるようになった理由が序盤ではまだはっきりと明かされていないからだ。
葉山にとって泉は、いわば癒しとして機能する存在である。彼の背負った過去ゆえに、泉の存在に救われてゆく。泉もまた、孤独だった自分を承認してくれる存在として、葉山を求めてゆく。欠落や傷があるがゆえに求め合うのは、何も珍しいことではない。しかしそうした要素が解決されたらどうなるだろうか。あるいは、解決はされなくても「逃げ」ることをやめて別の方向を歩いていくのであれば、どうなるだろうか。
こうした心理的な葛藤を、島本は叙述トリック的に巧みに演出してゆく。少しずつ明かされる過去、少しずつ明かされる本音の所在は、物語の序盤に思い描いていたハッピーエンドとは違った方向に二人の関係を進めてゆく。しかしそのような筋書きを作ることで、それでも求め合う二人の関係を濃厚に書くことにも成功している。ありきたりなハッピーエンドはもうない。しかしそれでも、二人の関係が終局するまでは、続いてゆく。
後で知ったが本作は2017年に松本潤と有村架純主演で映画化されている。その有村架純が最近主演していた『花束みたいな恋をした』もまさに、ありきたりなハッピーエンドへと進まない過程を描いた青春映画だった。恋愛関係が終局しても人生は続くという身もふたもない話は、『花束』でも『ナラタージュ』でも通用しうる。
しかしながら同時に、かといって過去の恋愛が無駄になることはない。良い意味でも悪い意味でも、かつて愛した人は記憶は、自分の人生の中に残っていく。ゆえに本作の結末は非常に美しいと感じた。恋愛の終局を彩る結末として、これほど切なく、かつ美しいものはそうあるものではない。
[2023.4.19]
[original writing:2021.6.1]